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皆様☆こんにちは


今回は、手短に(^_^;)
前回の続きから。




長編にわたった芦屋シリーズも大詰め。
風吹岩から会下山遺跡、第三回です。
DSC01910.jpg


NEC_0463.jpg NEC_0464.jpg
蛙岩を通過して、尾根道を進みます。.
丈の長い草が伸びて、少々歩きにくい。
斜面も、キツい部類です。ゆっくりと。

約15分少し。
会下山遺跡の看板が見えてきました。



この会下山遺跡とは、
およそ2000年前の弥生時代の高地性集落跡で、
1956〜61年頃にかけて、遺跡すぐ下の、
山手中学校歴史研究部員も参加して発掘調査されました。

1960年には県史跡として第一号の指定も受けています。


標高160〜200mの山頂尾根に、
40人前後の人が住みつき、炊さんを共にし、
低地の村々とも交流しながら、
海上交通の見はりなども行い、
活発な社会生活を送ったようです。


大陸からはじめて稲作農耕と金属器がもたらされ、
米を日常の主食とする生活の基礎が、
形づくられたのが弥生時代。

当時の人は赤色素焼の土器を用いて鉄製の
農耕具で生産を飛躍的に高め、宝器・祭祀的な
剣・矛・鐸・鏡などの青銅器を鋳造したりして
独特の文化を開花させました。
階級が発生し邪馬台国に代表されるような
小国家の成立をみたのもこの時代です。


今回は、当地の看板や資料を参考に、
書いてみたいと思います。


最近、日本人のルーツなどに興味がありまして、
調べていたりするんですが、
興味がある方もない方も、当時の生活や文化を
イメージしながらご覧下さい。


NEC_0467.jpg
16:08
遺跡地帯を区分する看板が立っています。
ここは、標高200m、ムラの最高所の祭祀場跡
S地区祭祀場跡です。

東西6.4m、南北6mの規模の
円形の竪穴遺構が見つかったそうです。

この遺構から、土器や石器、二枚貝(サルボウ貝)
などが出土。遺構の中の凹みから、
多量の木炭が出土。
共飲共食をするようなマツリ場のような機能も想像できる
とのこと。



DSC01885.jpg
ここは、Q地区祭祀場跡。
ここもマツリを行う場所。謎の石組や
石製品などが出土したようです。



DSC01886.jpg
F地区住居跡にして、minoru転倒箇所。

住居群の中でも最も高い位置に作られた住居。
床面積57mと最も広い住居で、特別な建物だったと
考えられる。ムラのリーダーの方のお宅、
或いは集会所など共同利用の場だったと考えられる。

私、写真をどの角度から撮ろうか・・・
などとカメラを構えならがら、歩いていると、
滑り台の如く、まともに滑って、
背中から転倒しました。(^_^;)

幸いリュックがクッションになって無事。
リュックサックって、便利やなぁと思いました。
カメラも、命がけで死守(◎-◎)



DSC01888.jpg
県史跡会下山遺跡のプレートが掛けられています。
少し広くなっていて、集落のほぼ中央部ですね。



DSC01889.jpg
この広場の一帯にある、E地区住居跡です。

南北の尾根上の中心的住居で、円形プランが2度拡張され、
増築の様子がうかがえるとの事。

最初は直径5.5mの平地式、のちに6.5m、7.5mと
径を大きくし竪穴式となって、中央と隅に4支柱を持つ。


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C地区住居址

直径7mの竪穴式住居で隅円方形から
円形に拡張されています。

屋内に排水か間仕切りかのV字溝が存在したようです。



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X地区住居址

東西5m、南北6.2mの円形プラン住居で、
壁溝が東を除いて、周囲を巡っている。
柱は中心と西半に6本。



DSC01892.jpg
U地区廃棄場址

集落の中央にあるハキダメで、
不整形な人工的凹みから黒色有機質土と共に
雑多な遺物の堆積が認められた。



DSC01893.jpg
N地区住居址

東西4.6m・南北5.6mの半円形半竪穴
半平地式住居です。

柱穴は堅穴を切りこんだ西辺に片寄り、
周溝も西半分にのみ見られる。

東は地山に置土をして床面を作っており、
何らの施設も認められない。
典型的な傾斜性住居です。、

完刑土器が出土していない事から、
何らかの理由でこの住居を廃絶して、
同じ集落に移転していたと考えられる。


DSC01894.jpg
J地区高床倉庫址


J地区近接地から、建物の柱穴列が発見されました。
4本柱で支え、柱と床の境には工夫された
「ねずみ返し」と呼ばれる平板がとりつけられています。
この集落の共同倉と考えられ米倉として用いられたようです。

復元された高床倉庫が作られています。


DSC01896.jpg
L地区住居址


東西7m・南北8mの弥生時代後期の半堅穴半平地式住居で、
室奥(北側)に平石が置かれ、
完刑土器が多数出土した。


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M地区墓址


集落の東端を占める墓址です。
骨片の入ったカメが埋められていた。


DSC01900.jpg

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ここは、集落の一番麓。山手中学校の校舎と
すぐ隣接している場所に、
出土品と発掘状況の触覚模型があります。

F・L・S地区で検出された遺構・遺物の特徴的な部分が
原寸大レプリカで再現されています。
色調・質感も実物そっくりですので、
手で触れて出土品の数々に親しむ事ができます。


いかがでしたか。
弥生時代のロマンを遺す遺跡はここまで。
この後、芦屋市三条まで尾根道をもう少し下ります。

次回、会下山遺跡について、もう少し補足と、
阪急芦屋川駅までを。上りでも、道が解るように
詳しく解説したいと思います。


お楽しみに(^^)

2008.08.27