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ハンター谷東尾根から城山3(改訂版)

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滝山城への道、こういった細い道もあります。
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滝山城址の石碑が立つ櫓跡。
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滝山城本丸跡
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本丸の石の古い道標。南方向が、板で隠してあります。
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大手道の取りつき部20080513043806
滝山城から新神戸へ下る、かつての大手道。
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大手道から、ロープウェーが見えました。

「ハンター谷東尾根から城山」その3、城山、滝山城。

進路をいよいよ歴史の山城跡の城山へとります。

折り返すように、東向きへ変え上りはじめる。しかし、少し上ったと思うと、すぐに下りになってしまいます。どうやら城山を巻いて、今度は向こう・北側に越えて歩いている様子。三角点がわからず。上り下りを繰り返し巻きながら、ハッキリと左側が谷になってしまう。

左側の谷が迫り、少し削れ細くなった道に出ると、ほどなく青い道標があり、右に曲がると滝山城址の石碑とベンチがある櫓(やぐら)さらに、広場になった本丸へと続きます。本丸のベンチ横の、石に刻まれた古い道標に書かれてあります。

あれ!しかし、二つと別に南側にも?板に釘を打って隠された道が…。

気になって、笹を掻き分け行ってみました。が、すぐに急斜面のひどく荒れた道が。脱ぎ捨てられたシャツ?や靴が…。

斜面から新神戸の景色が見えますが、何となくこれは危ない。引き返しました。着くところがわからない道は行かないのが正解。

以前、風見鶏の館辺りで、ハンター谷東尾根の入口を探していた時に、すぐそこに見えている山のほうへ行こうとして、案内所のおばさんに強く止められた事がありましたが、多分そのあたりに真っ直ぐ下りる廃道でしょうか。

本丸から、右手に山を巻ながら東へ下ります。左手側が急な谷で丸太が積まれています。山城の雰囲気がいよいよ漂ってきます。そういう道をしばらく歩くと、道の左右そこらに平地になった郭が現れます。何かの模様を彫った石垣跡?の石も積まれていたり。この辺りで写真を何枚も撮るのですが、なぜかブレて撮れない??

しばらく歩くと、道が平になり案内板があります。堀切、土塁、石垣に曲輪(くるわ)と城の跡があちこちに残っているように書いてありました。この本丸から、ほどなく分岐に。布引の滝・猿のかけ橋へ下りる道と、新神戸駅へ、ズドンと下る、かつての大手道とに分かれます。

まず、新神戸駅に急降下する大手道へ行ってみました。細い道を歩くとすぐに急な階段。新神戸まで700メーターと書かれた道標でしたが、なるほど真っ直ぐに、岩稜部などを挟みながら階段は続きます。こちらの道がかつての歴史ある大手道で、道の両側に平になった郭が見られます。

この郭に矢倉などを作り、奇襲攻撃をかけたりしていたのか・・。

15分もかからないうちに、新神戸駅すぐ北側の北野道入口や砂子橋の近くに下りました。それを確認してまた引き返します。きちんとした階段、途中で新神戸の街が見えます。ロープウェーが見えたり、鉄塔が建っています。しかしちょっと急なんで上りはなかなかきついものがあります。

途中にハッキリと行き止まりと書かれた道があります。
好奇心で行ってみると、なんだ行けるやんと暫く歩くと
「ウーーーーッ」・・・。
イノシシがすごく近くにいるようです(◎-◎)
私、慌てて逃げました。
イノシシが活動を始める、夕方でしたが、
あまりこういう変なトコには入らないのが正解ですわ。
こんな山の中で出くわして、格闘になったら恐ろしい・・・。
おまけに、手にビニール袋も持っていて、手噛まれたらえらいことです。

再び、分岐に戻り今度は布引の滝、猿のかけ橋方面へ下ることにします。

ここからは次回へ。次回は、徳光院の重要文化財・多重塔と、クスノキについてなど書きたいと思います。

ここで、この滝山城の歴史と解説を抜粋して書いておきたいと思います。最後までお付き合いありがとうございます。

〜滝山城の歴史〜
南北朝時代、赤松円心則村によって築かれたとされ、元弘の乱で鎌倉幕府討伐の命を受け、赤松はここを拠点に、摩耶山城を前線に六波羅を討った。

その後、足利尊氏に与した赤松の範資は、摂津守護となりこの滝山城と再度山の多々良城で南北朝と対峙した。

時は流れ、戦国時代。阿波細川氏の守護代であった三好長慶が摂津へと侵攻すると、松永久秀に命じて荒廃していた滝山城を修築させた。

松永の後、篠原長房が城主となるが、永禄11年、織田信長に攻められ落城。伊丹有岡城主・荒木村重の持城となり、家臣の池田泰長が守った。

天正6年、荒木が謀反を起こし、翌年織田信長によって花隈城と共に攻められ落城し廃城となり、石垣などは兵庫城に転用された。

〜滝山城〜(案内板)
標高300メートルの尾根を使った典型的な山城であり、東西約600メートル、南北400メートルという広い城域を持ち、ほぼ完全な形で残されている。ハイキングコースに沿って次々と現れる小さな平地は廓(くるわ)跡であり、木の塀、矢倉(櫓)などの建物を設けて城を守った。また谷部を削って堀切を設けており、地形の急さに合わせて非常に堅固な城であったと言われている。

つづく
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