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写真1.
滝山城への道、こういった細い道もあります。
写真2
滝山城址の石碑が立つ櫓跡。
写真3.
滝山城本丸跡
写真4.
本丸の石の古い道標。南方向が、板で隠してあります。
写真5〜6.
滝山城から新神戸へ下る、かつての大手道。
「ハンター谷東尾根から城山」その3、城山、滝山城。
進路をいよいよ歴史の山城跡の城山へとります。
折り返すように、東向きへ変え上りはじめる。しかし、少し上ったと思うと、すぐに下りになってしまいます。どうやら城山を巻いて、今度は向こう・北側に越えて歩いている様子。三角点がわからず。上り下りを繰り返し巻きながら、ハッキリと左側が谷になってしまう。
左側の谷が迫り、少し削れ細くなった道に出ると、ほどなく青い道標があり、右に曲がると滝山城址の石碑とベンチがある櫓(やぐら)さらに、広場になった本丸へと続きます。本丸のベンチ横の、石に刻まれた古い道標に書かれてあります。
あれ!しかし、二つと別に南側にも?板に釘を打って隠された道が…。
気になって、笹を掻き分け行ってみました。が、すぐに急斜面のひどく荒れた道が。脱ぎ捨てられたシャツ?や靴が…。
斜面から新神戸の景色が見えますが、何となくこれは危ない。引き返しました。着くところがわからない道は行かないのが正解。
以前、風見鶏の館辺りで、ハンター谷東尾根の入口を探していた時に、すぐそこに見えている山のほうへ行こうとして、案内所のおばさんに強く止められた事がありましたが、多分そのあたりに真っ直ぐ下りる廃道でしょうか。
本丸から、右手に山を巻ながら東へ下ります。左手側が急な谷で丸太が積まれています。山城の雰囲気がいよいよ漂ってきます。そういう道をしばらく歩くと、道の左右そこらに平地になった郭が現れます。何かの模様を彫った石垣跡?の石も積まれていたり。この辺りで写真を何枚も撮るのですが、なぜかブレて撮れない??
しばらく歩くと、道が平になり案内板があります。堀切、土塁、石垣に曲輪(くるわ)と城の跡があちこちに残っているように書いてありました。この本丸から、ほどなく分岐に。布引の滝・猿のかけ橋へ下りる道と、新神戸駅へ、ズドンと下る、かつての大手道とに分かれます。
まず、新神戸駅に急降下する大手道へ行ってみました。細い道を歩くとすぐに急な階段。新神戸まで700メーターと書かれた道標でしたが、なるほど真っ直ぐに、岩稜部などを挟みながら階段は続きます。こちらの道がかつての歴史ある大手道で、道の両側に平になった郭が見られます。
この郭に矢倉などを作り、奇襲攻撃をかけたりしていたのか・・。
15分もかからないうちに、新神戸駅すぐ北側の北野道入口や砂子橋の近くに下りました。それを確認してまた引き返します。きちんとした階段、途中で新神戸の街が見えます。ロープウェーが見えたり、鉄塔が建っています。しかしちょっと急なんで上りはなかなかきついものがあります。
途中にハッキリと行き止まりと書かれた道があります。
好奇心で行ってみると、なんだ行けるやんと暫く歩くと
「ウーーーーッ」・・・。
イノシシがすごく近くにいるようです(◎-◎)
私、慌てて逃げました。
イノシシが活動を始める、夕方でしたが、
あまりこういう変なトコには入らないのが正解ですわ。
こんな山の中で出くわして、格闘になったら恐ろしい・・・。
おまけに、手にビニール袋も持っていて、手噛まれたらえらいことです。
再び、分岐に戻り今度は布引の滝、猿のかけ橋方面へ下ることにします。
ここからは次回へ。次回は、徳光院の重要文化財・多重塔と、クスノキについてなど書きたいと思います。
ここで、この滝山城の歴史と解説を抜粋して書いておきたいと思います。最後までお付き合いありがとうございます。
〜滝山城の歴史〜
南北朝時代、赤松円心則村によって築かれたとされ、元弘の乱で鎌倉幕府討伐の命を受け、赤松はここを拠点に、摩耶山城を前線に六波羅を討った。
その後、足利尊氏に与した赤松の範資は、摂津守護となりこの滝山城と再度山の多々良城で南北朝と対峙した。
時は流れ、戦国時代。阿波細川氏の守護代であった三好長慶が摂津へと侵攻すると、松永久秀に命じて荒廃していた滝山城を修築させた。
松永の後、篠原長房が城主となるが、永禄11年、織田信長に攻められ落城。伊丹有岡城主・荒木村重の持城となり、家臣の池田泰長が守った。
天正6年、荒木が謀反を起こし、翌年織田信長によって花隈城と共に攻められ落城し廃城となり、石垣などは兵庫城に転用された。
〜滝山城〜(案内板)
標高300メートルの尾根を使った典型的な山城であり、東西約600メートル、南北400メートルという広い城域を持ち、ほぼ完全な形で残されている。ハイキングコースに沿って次々と現れる小さな平地は廓(くるわ)跡であり、木の塀、矢倉(櫓)などの建物を設けて城を守った。また谷部を削って堀切を設けており、地形の急さに合わせて非常に堅固な城であったと言われている。
つづく






写真1.
ハンター谷東尾根取りつき。この先に急坂が待ち構えている。
写真2〜4.
ハンター谷東尾根。道は進む程に明るく緩やかに。
写真5.
北野道から合流以降。この辺りはもう完全な散策路。写真6.
城山への分岐。
皆様こんにちは。
さて、昨日の続き、
「ハンター谷東尾根から城山」その2、ハンター谷東尾根です。
ハンター谷(天神谷)東尾根の入口。ダムの西側の坂道を上ると、すぐに山道になります。
樹木に覆われた、薄暗い取りつき部。歩いた時間が遅く曇り空で余計に。
いきなりの急坂で補助ロープがつけられているが、
使わなくても大丈夫です。ただし、落ち葉が大量に落ちていて、滑りやすい。
以前に下りで初めて歩いた時は、スリリングな印象を受けましたが、上りではそう問題ない程度。
とにかく、うっそうと木が繁り、陽が当たらず暗い感じ。イノシシが掘り返したままで、土がむき出しになっている部分も多く、多少荒れている感じは受けるが、もともとは階段もきちんとあり、一応整備された道とは言えます。堂徳山国有林とされていますし、地図にも載っている道です。
すぐに、倒れた道標があらわれる。右手上が、二本松方面。左は「ハンター谷 行き止まり」
ここから、左手の谷がハンター谷になるようですが、道は細くて、崩れたというか、無理矢理道をつけ替えた感じ。
というか、道にもなってない。いきなりの切り立った谷、崖…。僕の実力では、到底無理です。
インターネットで調べてみると、その先は、堰堤が幾度も続き、堰堤を回りながら、以前、北野→錨山の回で書いたハイキングコースに出るようです。イノシシの罠を仕掛けてあると看板が出ていた所ですね。やはりあそこに出るようです。
あの時は、草の分かれ目がはっきりしていて、問題のない道だと思ったんですが、とんでもなかったようです。
さて、東尾根は、東へ東へ巻ながら高度を上げていきます。取りつき部は、ずいぶん急でしたが、10分も歩かないうちに、ごく普通の坂となり、視界も随分明るくなってきました。
所々の、道に落ちた大きな枯れ枝が、やはり余り手が加えられていない、原生林の趣きを出していますが。
ツツジが咲いています。ブナの木もたくさんあります。非常に特徴的な木、黒い穴のようなへこんだ模様の木がたくさん生えています。
道は、ある程度の急坂も混ぜながら、快適な上りが続き、上るほどに道も良くなります。
15分も上った頃、ハイカーさんと出会う。以前下りで初めて歩いた時は、地元の30代ぐらいのご夫婦と出会い、不安だった気持ちが、随分楽になったものです。それぐらい、あまり人気がない感じの道です。
それが、逆に魅力とも言えます。木々の中で静かな時間が過ごせます。
20分も経つ頃、北野道からの道と合流します。
道標が立っています。まっすぐ上がれば二本松・城山、右手は北野。この右手の北野道方面は、以前の記事を参考にしてください。
ここから、道は更に明るくなります。この辺りちょうど堂徳山高嶺の山裾でしょうか。西北へ向いて歩く左手に視界が開け、右手側には標高319メーター、目指す城山が堂徳山のちょうどすぐ後ろ、ぴったりと張りつくように背中にそびえます。
この緩い道を10分ほど上ると、分岐に出ます。右斜め上に城山へ続く道が、来た方向に西へ直進すれば二本松方面です。ちなみに、先に書いたハンター谷への下り道は、この先にすぐあります。
進路を城山へとります。
つづく





こんばんは、皆様。
土曜日のハイキングは、あいにくの天気。いいコースだったので残念で仕方ありません。
何でも、昔からこの西お多福山コースは、雨で流れ続けているとか。ぜひ晴天で開催したいものです。
それにしても、長い雨でしたね。この雨で季節は逆戻り?してしまったようで、冷えこみました。
僕は気が抜けたように布団にもぐりこみ、二階からの低い空を見ながらお酒を飲んでると、寝てしまいました。
夕方起きてみると、ベランダで、どこかの野良猫が雨宿りをしていました。この「どこかの野良猫」は寒くなるとすぐに、人の家のベランダにやってくる。
お互いに干渉しない事にしてますんで、来たい時に来たらいい。こっちは、悪いけど、こたつ出してきて暖まります。
日が明けて日曜日。空は一気に、美しい水色が広がり、夜には銀河鉄道の窓から、光の粒が星の粒が、漆黒の空に瞬く六甲山でした。
さて今回は、とある日、地元布引からすぐ近くの、名所を巡り歩いた記録を書きたいと思います。
題して「ハンター谷東尾根から城山へ」
新神戸、布引、北野。神戸に勤めてこちらへ引っ越してくることになった時、外から見た印象で、一番神戸らしいと感じたのが理由で、新神戸駅南側に住むことになって早いもので5年。
神戸と言えば、港街と六甲山。海は山から見たらええ。六甲山系の山並みが、すぐ背中に広がる、ここに住みたいと思って住んでみると、大阪や奈良や京都にばかり出向いていました。
今更ながら、ブログを書きだして、より深く神戸や六甲山を歩いて、ここに住んでよかったと思います。
古都、といった趣きとはまた違う感じですが、六甲山麓の神戸の街あちこちにも、独自の深い味わいの歴史を感じます。
前回の平野もそうですが、この新神戸、布引の歴史も古く、とても魅力を感じます。
異人館という、居留外国人の邸宅跡が連なる北野は、関西では無二といえる、西洋の文化や建築が保存された、ハイカラという表現がまさにピタリと合う街です。
近代の、まだ日本が日本らしい美しい文化を持った時代の趣きも、異人館という一角の中に感じることができます。それは、純粋に「和」というものとは異なりますが、浪漫と活気に溢れた、ハイカラな時代がそこにはあります。
異人館の事はまた別の機会に書くとして、その北野の一番北、急坂のだいぶ上のほう、風見鶏の館や萌黄の館、街中公園辺りから、西側にさらに上に続く道があります。
登山道「ハンター谷東尾根(天神谷東尾根)」の入口です。
三宮、東門街を抜け中山手通を越えると、ハンター坂という坂道があります。
神戸らしいおしゃれな坂道には、外国料理店やカフェが並びます。
このハンター坂を上がりますと、角に交番のある四辻にでます。
ここから、さらに上りお寺を経て、右に曲がっても入口に辿り着きます。
こちらから行った方が分かり易いかもしれません。
さて、このハンターという名前。決して猟師の事ではありません。イギリス人の貿易商として1868年の開港した神戸にやってきて、鉄工所を設立、後の日立造船を築いた外国人です。
そのハンターさんは、日本人と結婚、平野と性を名乗り、長男には日本国籍をとり「範多家」を創設させたというエピソードのある、外国人です。
現在は国の重要文化財として、王子公園に移設されましたが、このハンターさんのお宅があったところから名前がついたハンター坂。
ハンター谷は、ハンターさんが、自宅のすぐ上の山を切り開き、再度山へのハイキングを楽しみ、これが後に再度山の毎日登山の発祥となったといわれるそうですが、昭和20年代の砂防工事によって、当時の道は通れなくなってしまったとのこと。
調べていると、このもともとのハンター谷辺りは、堰堤が何個も作られ、クライミングのようなコースで、森林整備用の作業道となってしまっているようです。入口も、出口も既に発見していますが、やめておいて正解でしょう。特に登り口は、怖くてよう歩けません。
ハンター谷の東側尾根に道があります。これが、今回の最初のルートである、ハンター谷(天神谷)東尾根です。
入口には砂防ダムがあり、フェンスで囲われてあります。北野川がどうやら、このすぐ上流から地下河川として、地中に潜り込んでいるようです。水害を防ぐため、ここで土砂の流出を止めているわけですね。フェンス横を通りいよいよ、上ります。
さて、次稿では、ハンター谷東尾根から、赤松円心、荒木村重などのゆかりある山城、滝山城について。室町時代に建立された、重要文化財「多重の塔」や、マザーツリーにも選ばれた、
クスノキさんとの感動の出会いにがあった、徳光院について。楽しいハイキングの旅を、
書いていきたいと思います。
続きはまた明日に。
写真1.異人館の通り。
写真2.3.ハンター谷東尾根登山口。
写真4.ハンター坂昼景。
写真5.ハンター坂夜景。





